復帰と引退と...

アキ復帰、そしてノボル引退。
過去の記憶は整理できないまま、時の流れとともに濁流のように押し流されていく...


2006年12月、2度目のJ2降格。満身創痍となりながら、それでも最前線で体を張り、チームを引っ張り続けた。これまでセレッソのトップチームを観続けてきた中で、心の底から「エースストライカー」と呼べるのは彼だけだった。清水への移籍が発表された時、悲しさがこみ上げてくる一方で、アキはこれ以上セレッソで苦しい想いをしなくて済むんだ、と心のどこかで安堵した。

2009年、アキが再びセレッソに戻ってくる。セレッソのユニフォームを纏う彼のプレーを再び長居で観ることができる喜びは、他の何事にも変えられるものではない。

お帰りなさい、アキ。


そして、先日発表されたノボルの引退、スクールコーチ就任。
韮崎中央での靭帯断裂、復帰戦となったユニバ補助での激闘、鳥栖北部での復活ゴール、そして別府での躍動...。「来年もよろしくお願いします」と笑顔で伝えられた時、僕らは喜びを隠すことはできなかった。

2007年、都並政権下でポジションを獲得。苦しい試合が続く中で、ノボルの魂のプレーは数少ない希望のひとつだった。そして、アウェー福岡戦のプロとして最初で最後となったゴール。携帯速報を帰宅途中の電車内で観た時には、嬉しくて涙を止めることが出来なかった。

僕がノボルを初めて観たのは韮崎中央。それ以来、ノボルのサッカー人生は常に怪我との戦いだった。それでも、苦しい時期を乗り越えて何度も復活し、僕らを熱くさせるプレーをみせてくれた。セレッソを、ノボルを好きで良かったと思わせてくれるプレーで僕らを魅了し続けた。

全ての記憶がまるで昨日のように思い出される。それだけに、ノボルの引退をどう受け止めて良いかわからず、正直、僕の中では整理できていない部分も多い。ただひとつはっきりしていることは、ノボルがセレッソを去るわけではないということ。これからもノボルはセレッソとともにあり続ける、という喜び。

これからは、第二のノボルを、セレッソの未来を担う選手をノボルの手で育てていってほしい。「生涯セレッソ」を選んだノボルにしかできないことが、スクールや育成の場所にはたくさんあると思う。そして、引退しても、僕らがノボルを応援し続けるという気持ちに変わりはない。

ありがとう、ノボル。そしてお疲れさまでした。


でもやっぱり、寂しいなぁ...