2008ノーベル賞

久しぶりに現地観戦したトップvs横浜FC戦のもどかしさをどう記そうかと思っていた矢先、南部、小林・益川*1ノーベル物理学賞受賞のニュースが飛び込んできた。素直に驚いたと同時に脳裏を巡ったあれやこれやを何となくメモ書き。


【日本における自然科学研究】

日本の自然科学、物理学のレベルの高さが証明された的な論調になるのだろうと思うが、ノーベル賞の受賞に関わらず日本の自然科学研究のレベルはもともと高い。たとえば東京大学の物理学系の論文数は世界5位以内、論文の価値を図る引用数でも10位以内に入る*2。また、大学院修士課程という早い段階から独自の研究テーマを模索し、論文を書くのは日本の大学ぐらいであり*3、もともと研究の自力は高い。

大学院重点化などにより研究者の質の低下などが議論されてはいるが、日本の研究者は世界的にも高いレベルにあるという事実が、これを期にきちんと広まってくれればと思う。



【理論物理≒素粒子論?】

日本における理論物理学でのノーベル賞受賞は湯川、朝永であり、今回の南部、小林・益川であるという印象がより強くなっていくことだろう。ともすれば理論物理≒素粒子という印象を与えかねないが、ノーベル賞は受賞していないものの日本人が中心的役割を担う理論分野は素粒子以外にも存在する。

例えば、自分が学生時代に専門だった統計物理学の分野には久保亮五という世界的な統計物理学者がいた。線形応答理論*4によって非平衡統計物理学の基礎を築き、20世紀に統計物理学の分野で日本は世界をリードし続けた*5。磁性物理など物性物理学の分野においても日本人研究者の貢献度は高く、決して素粒子のみ、というわけではない。


【疎遠になる物理学】

ノーベル物理学賞の内容からも分かるとおり、近年は「量子」もしくは「宇宙」という日常の感覚から遠く離れた研究が大半となっている。では、日常に見られる現象が全て説明できているのかというと、必ずしもそうではない。

高校の物理には「熱力学」という分野が存在し、大局的に「静止した」状態の諸状態の扱いが明らかになっている。しかし、流れの存在する中での熱力学理論はまだ完全には分かっていない*6。戦前、寺田寅彦は「灰泥ダイナミクス」と称して砂泥の動的性質の研究に従事した。10年ほど前に「複雑系」というキーワードが注目を浴びたが、根底にある概念はまさに寺田寅彦の目指したものと同じものだった。現在でも砂流の研究は主要なテーマとして研究が続けられており、身近な現象の中にも、とりわけ動的統計的性質を伴う現象には未だ完全な説明のできない現象が多く存在する。


【停滞?する理論研究】

近年の理論研究に与えられるノーベル賞の多くは、一昔前の成果が対象となっている。今年の小林・益川も30年以上前の成果だし、2004年のグロス他の漸近的自由性、2003年のアブリコソフ・レゲット・ギンツブルグの成果もかなり以前のものという印象がある*7。理論分野で1980年以降の成果となると、1998年の量子ホール効果(ラフリン他)ぐらいしかないのではないだろうか?

探求すべきテーマが無くなったとは思わないが、理論研究そのものが難しくなりすぎてしまった、というか本質的に難しい問題だけが残されてしまったために、パラダイムシフトを伴うような大きな成果が出にくくなったといえるだろう*8


研究者にとってノーベル賞が全てではないと思うが、今後も数年に一度、日本人のノーベル賞受賞ニュースが聞けるとやはり嬉しい。だだ、それ以上に、個人的には学生時代に関わったことのある人たちの成果が聞けるほうが、ノーベル賞のスケールには届かないものだったとしても、なおのこと嬉しくなる。

*1:以下敬称略。

*2:自然科学系だったかもしれない。2003年頃の曖昧な記憶。

*3:これが本当に良いかは意見が分かれるところだと思うが、若くして研究に入れる素養の高さはきちんと評価されるべき。

*4:Wikipediaの記事は式の羅列で説明になっていない。非平衡状態が平衡状態をもとに記述されることに注目。

*5:物性研究におけるシミュレーション技術の発展もあり、最近では統計や物性の基礎理論が衰退しているのでないかという気がしており、個人的には非常に懸念している。

*6:流体力学的記述により流体の大局的な性質はかなり広範囲に明らかになっているが、熱対流のような大きく揺らいだ系の理解には未だ多くの課題がある。平衡から大きく外れた系の理解は、20世紀に多くの研究者が挑戦しながらも多くの問題が残された分野といえる

*7:アブリコソフのテキストは現在も多くの研究者に読まれる名著で自分も院生時代にかじったことがあるが、「古典」のような印象があった。ギンツブルグの成果は戦後間もなくという印象すらある。

*8:超弦理論は現存する加速器では検証不可能なエネルギースケールのため、ノーベル賞候補となることは無いと言われている。