退官講義など

ここのところ仕事が忙しい。顧客の一方的な要望なのだが、ここに来てのスケジュール変更は正直キツい。毎日終電になるとか徹夜をするとかといったことはない(こういう働き方をして事態が改善するとは限らないので今は極力やらないようにしている)が、久しぶりに強烈なプレッシャーを感じている今日この頃。おかげで、楽しみ?にしていた3月の大阪出張も中止になってしまいましたorz
それはさておき、先日、大学院時代の指導教官の退官講義があった。平日開催のため講義を聞くことはできなかったが、その後の懇親会には仕事を切り上げて参加。時間に遅れて会場に到着すると、予想以上の人の多さにびっくり。先生を探して挨拶すると、昔と変わらない軽快な言葉で応じてくれた。昨夏に入院されたとのことで、以前より痩せられたという印象を持ったが、それ以外は変わらない昔のままの先生という印象だった。また、懇親会後に研究室で学生達と夜遅くまで話をした。感じたことは、彼らと就職した自分との決定的な違いは清貧さ。もう痩せたソクラテスを目指すとか自分にはできないんだな、とw
研究室は、良く言えば幅広い対象・手法を研究対象として自由に研究を進められる場所だったが、それは、研究対象の選定から論文の作成発表まで全て独力で行い、共同研究者のいない中で一年目から一人前の研究者としての振舞いが要求される場所でもあった。実際、大学院への進学前にこのことを忠告?してくれた先生もいたし、優秀な頭脳を持ちながらも、自らが選択したテーマで結果を出せずに研究室を去っていった先輩・後輩も目にした。
自分は優秀でなかったうえに、この重圧と一人研究を進める心細さに打ち勝つことができなかったのだが、それでも、今思うと自分自身にとっては良い研究室だったなと思う。他研究室の学生が着々と必要な勉強を積み重ねる一方で、自分は確信の持てぬままプレプリントを読み漁っていた頃はただただ不安で一杯だった。しかし、「何が面白いのか」「何が/何をもって新しい成果といえるのか」といったことを散々考え、足掻いたのは良い経験だったと思うし、自分の研究していたテーマが、形や視点を変えながらではあるが、今でも後輩の研究対象となっていると聞くと、ちっぽけながらも何か残せたかな?という小さな幸せを今でも感じることができる。
結果を残せなかった人もいたが、一方で独力で新たな分野に切り込み、中心的存在として活躍している先輩もいる。こうした先輩方が出てきたのも、研究室の自由な雰囲気の賜物だろう。先生は退官後も別の大学に移って研究を続けられるそうだが、この研究室がなくなるのはやはり寂しい。独立行政など、大学でも締め付け?が厳しくなってきている昨今、こういう研究室運営は流行らないのかもしれないが、型にはまった研究室だけになってしまうと、学問分野全体が面白くなくなってしまうような気がする。
しかし、この季節になると毎年似たようなことを書いているような気が...