大学での生活

久しぶりに大学に来て(センター試験で構内には入れなかったが)、ふと10年前のことを思い出した。10年前の2月末日、多くの受験生とともにこの大学の門の前に並んでいた。理由はもちろん大学受験。今も昔も実力は無いが、当時の自分は(根拠のない)自信だけは持っていた。試験当日も「今日は数学がかなり出来そうな気がする。多分大丈夫だろう」とか本気で思っていた。結果は当然の如く不合格。更に(滑り止めのつもりだった)後期試験にも失敗し、春から浪人生活が始まることに。散々な船出だったが、このあたりが「学者」という漠然とした夢に向けての最初の足跡。
一年後、地元関西の大学に進学。大学での4年間は、浪人時代ほどではないにしても、かなり勉強していたと思う。バスケやサッカーのサークルに属して体を動かしてはいたが、いわゆる「大学生らしい遊び」をした記憶はない。カリキュラムではおよそ1年先に学ぶはずのテキストを読み、学部3年の時には大学院の講義を受講したりしていた。物理が好きだったというのはもちろんあるが、自分の中では常に何か焦っている感覚があった。なんとか自分をIdentifyしようと必死だったのかもしれない。
大学4年。専門の選択で悩む。素粒子論・物性理論/実験・地震...何にしようか色々と悩んだが、結局、統計物理学や数理物理学を専門とすることに。ソフトマターや生命系(の数理)などへの漠然とした期待や憧れ、また非平衡系への挑戦、なども動機の中に含まれていたと思う。
大学院受験。個人的な事情もあり、院からは関東と決めていた。大学にこだわったわけではないが、現役時に落ちた大学の研究室を志望。4年間真面目に勉強し続けたこともあり、院試の成績は良かったらしい。院試の結果から、学者になるという目標から見たときの自分の(相対的な)位置が確認できたのは素直に嬉しかったし、また当時としては大きな自信にもなった。
大学院。ひたすら悩む。研究者としてあるべきと考えていた自分と実際の自分の乖離。優秀な先輩・後輩との相対比較でしか自分を捉えられず、自己否定を繰り返す毎日。今思うと物理や研究そのものと向き合うのではなく、自分自身と向き合う、というか自分自身の中に落ち込んでいくだけの毎日だったのかも知れない。研究の面白さを感じ始めたのは就職を決めた後。修士課程が残り半年を切った頃だった。
現在。会社員3年目。現在は物理とはあまり関係のない仕事。物理と向き合えるのは通勤時間や土日など限られた時間。研究という側面はなく、他人の成果を読んで愉しむだけの側へ。正直、現在も大学に残っていれば、と思うときもある。ただ、人生を80まで生きるとしたら、あと50年は物理を愉しむ時間が残っている。そう思うと、たとえ仕事をしながらでもまだまだ学べそうな、愉しめそうな気さえしてくる。
物理という趣味は、10年以上かけて育ててきた、かけがえのない自分の財産。大事にしていきたいなと思う今日この頃。