研究者の地位

コメントに来た内容に対して多少真面目に返してみる。
指摘のあった博士課程の地位が他国と較べて低いというのは、(全てにおいてというわけではないだろうが、大体において)事実だと思う。「博士号と書いて足の裏に付いた米粒と解く(取らないと気になるが取っても食えない)」という冗談もあるぐらいで、ところどころで博士取得者にまつわる議論が行われていたりもする(たとえば、直接的ではないがこのへんのページなどが参考になるかも)。

ただ、一番の問題は全体的に待遇が低いことではなくて、研究者として一人前とは言えない博士取得者が大量発生してしまう仕組みにあるのではないかと思う。博士課程に進んでいる学生は、ごく一部の学生を除き無給(むしろ、学費を払っているので出費のみ)という待遇にもかかわらず、博士課程に進んでしまう(進んでしまえる)という状況。この辺は過去の大学院重点化政策の反動で、本来、国がきちんと制御しなければならないことだろう。

また、研究者の待遇と言ったときに、サラリーマン的な感覚で待遇を要求するのはちょっと違うという気がする。研究者、特に純粋数学理論物理学など実用的側面に直接貢献するわけではない分野の研究者は、どちらかと言うと芸術的側面を持ち合わせた職業に近く、厳しい生存競争に晒されるのは至極まっとうなことだと思う(ただし、いわゆる芸術的な職業と異なり、研究者には「学歴」というものが付きまとってくるため、待遇なり何なりという議論が生じるのだろうが)。いろんな矛盾が混在して非常に難しい問題だとは思うが、少なくとも○○ブランド的な甘やかしの待遇は逆効果だと個人的には思っている(自分と同程度の能力の人間を、安易に血税で養ってほしくないというダークな考えもあったりする...)。

ちなみに東大の自然科学系論文の総引用数は、数え方にもよるが少なくとも世界トップ5には入ってきているはず。世界と伍して行く力がなければ研究者として食っていくことはできない。その辺は少なくとも日本サッカー界よりは明らかにレベルは高い(って比較しても何のことやらw)。一番の問題は、引用数に比してノーベル賞などの大きな業績が少ないことなのだろうが...

理科離れについてはぐだぐだ書き散らかしたいことは沢山あるのだが...。個人的に注目すべきと思っていることは、既に子供だけの問題ではなく、我々大人にも色んな形で侵食してきているということ。たとえば、世に出ている問題としてニセ科学というものがあったりする。血液型性格診断もマイナスイオンゲルマニウムも全て科学的ではない、と聞いたらあなたはどう思いますか?

最後に、これは本当にどうでもいいことだが、「○○ブランド」的なものが本当に世に存在するのかと小一時間...